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横浜地方裁判所川崎支部 昭和52年(わ)494号 判決 1978年8月10日

被告人 黒澤武

昭二三・四・六生 自動車運転手

主文

1  被告人を懲役一年一〇月に処する。

2  未決勾留日数中三四〇日を右刑に算入する。

3  押収してある電工ナイフ一丁(昭和五二年押第一四三号の1)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五二年八月七日午前五時四五分ころ川崎市川崎区小川町八番地一一札幌ラーメン「どさん子」小川町支店前路上に普通乗用自動車を停車させていたところ、同店から出て来た新垣朝盛(当時一九才)、仲間茂竹(当時一七才)が酔余助手席に同乗していた妻友子に絡んで来たことからこれをたしなめたところ、新垣、仲間の両名から因縁をつけられて口論となり、降車した後、新垣から「お前山口組をなめてんのか。」等と攻撃の気配を示されたばかりか、両名に腕を引つ張られる等して同町一〇番地七商工中金専用駐車場付近路上まで連行され、同所において両名から手拳で顔面を殴打され、腹部等を足蹴にされ新垣に路上に引き倒されて上に乗りかかられ、仲間に足蹴りされる等の暴行を加えられたため、所携の電工ナイフ(刃渡り約七・二センチメートル、昭和五二年押第一四三号の1)を右手に握つて立ち上つた後、なおも被告人に殴りかかつてくる新垣、仲間の急迫不正の侵害に対し、恐怖と興奮により自己の身体を防衛するため同ナイフを使用する外はないと考え、防衛上必要の程度を超え、これをもつて新垣の左胸部、左側腹部を突き刺し、仲間の左腰部を突き刺す暴行を加え、よつて新垣に対し胸部刺創、腹部刺創の傷害を負わせ、右傷害により新垣をして同月一一日午後一一時五一分ころ、同区新川通一番一五号総合新川橋病院において、腹部刺創に基づく急性化膿性腹膜炎により死亡するに至らしめ、仲間に対し通院加療約八日間を要する左腰部刺創の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

一、正当防衛又は過剰防衛の主張について

(一)はじめに

弁護人は、本件では新垣、仲間の両名に対する関係で正当防衛又は過剰防衛が成立すると主張するが、当裁判所は、被告人が路上に引き倒されたうえ新垣に乗りかかられている間にナイフを振り回して新垣に切りつけた部分は正当防衛行為と認めたが、被告人が立ち上がつた後の新垣、仲間に対するナイフによる刺突行為はいずれも過剰防衛行為にあたると判断したので、以下その理由の概要を示す。

(二)認定した事実

本件事実関係の詳細は、前掲各証拠によれば、

被告人は、義兄の経営する割烹「陣大」の運転手として従業員の送迎等の仕事をしていたものであるが、昭和五二年八月七日午前四時五〇分ころ、仕事を終えて帰宅し、妻友子の友人を普通乗用車で川崎駅へ送つた後、友子と共に食事をとるため札幌ラーメン「どさん子」小川町支店前まで至り、同店前路上に普通乗用車を停車させてどこに車を駐車しようかと友子と相談していたこと、

仲間茂竹は焼肉店「大鵬」の店員であるが、同日午前二時ころ仕事を終え、店で日本酒をコツプ三杯位飲んでから川崎市川崎区小田五丁目付近のスナツク「喜楽」に立ち寄つたところ同じ沖縄県出身の新垣朝盛と出会い、同スナツクで新垣と共にビールを飲んだ後、両名共タクシーで「どさん子」小川町支店に行き、同日午前四時五〇分ころから仲間が餃子を新垣がラーメンをそれぞれ食べながらここでもビールを大瓶一本位ずつ飲んだが、新垣は相当酩酊しており、仲間もある程度酩酊していたこと、

新垣、仲間の両名は右店内で他の客に「山口組を知つているか。住吉云々。」と相手構わず口走つて因縁をつけ、入口付近にいた職人風の男に因縁をつけた際同人が店を出ると両名は後を追つたが、職人風の男が同店近くの川崎警察署日進町派出所へ行つたため警察官が来て、新垣、仲間と話していたこと、

同日午前五時四五分ころ、新垣、仲間の両名は同店を出て、同店前路上に停車していた被告人の普通乗用車助手席に近寄り、新垣が助手席の友子に対し、「何をこんな所でイチヤイチヤしてるんだ。何んで此処へ車を停めるんだ。」と因縁をつけ、友子が「あんた達に関係ないでしよ。」と言い返したところ、新垣は「何だこの野郎。降りろ。」と激しい剣幕で怒鳴つたので、被告人がたまりかねて運転席から「女に絡んでもしようがないだろ。」とたしなめると、新垣は「何だこの野郎。」と鋒先を被告人に向け、友子が助手席窓ガラスを閉めようとするのを手で押えつけ、「ここは駐車違反だ。降りて話をつけろ。山口組を何だと思つているんだ。」と言つて仲間と共に運転席側にまわり被告人に対し「降りろ。」と二、三度言つたことから、被告人も派出所が近いしいずれ「どさん子」に入るつもりだつたので車から降りたこと、

被告人が降りると、新垣は「何だお前、山口組をなめてんのか。」と更に因縁をつけたので、被告人は「交番がすぐ前にあるから交番に行つて話そう。」と応対して口論となり、仲間は被告人に「お前やめろ、殺されちやうぞ反対に。」と言つて一応とめたが、新垣は被告人の胸付近を小突いた後、被告人の左腕を引つ張り、仲間も新垣に同調して被告人の腰を背後から抱きついて押したりしながら商工中金専用駐車場方向の路地へ連行し、途中新垣は「事務所へ連れていつてやるから。」と言つたこと、

友子は、被告人が車から降りるとすぐ「どさん子」店内に入り、店の者に一一〇番を依頼した後、ラーメンを注文したりしていたが、心配になつて店外へ出て被告人が連行された路地の方を見たところ、新垣が被告人に殴りかかつていたので、「警察に連絡した。お巡りさんが来るから手出しちやだめよ。」と大声で怒鳴つたところ、被告人も「お巡りさんを呼んでくれ。」と大声で答え、これを聞いた新垣は被告人の顔面を殴打し、脇腹付近を蹴り上げ、仲間も共に被告人の顔面を殴打し、両名で被告人を前記駐車場の自動販売機付近に押しつけた後、新垣が被告人の胸倉を掴んで路上に引き倒し、もつれるように被告人の上に倒れ込んだところ、被告人の右ポケツトから電工ナイフが路上に飛び出したこと、

右電工ナイフは、被告人が前夜自動車の配線の修理に使用した際しまい忘れてズボンのポケツト内に入れたままにしておいたものであること、

被告人は、電工ナイフが路上に落ちたのを知るや、これを新垣らに拾われたら自分が突き刺されてしまうと咄嗟に思い、急いでこれを拾うと刃を開いて右手に握り、体を仰向けにして、上に乗りかかつていた新垣に対し、上下左右に振り回すように切りつけ、新垣の後頭部、左前額部、胸部、腹部等に切創を負わせたこと、

仲間は被告人が倒れている間被告人の左側から蹴りつけていたが、被告人が立ち上がると被告人対新垣、仲間の三人で殴り合いのような状態になり、被告人が電工ナイフで新垣の左胸部、左側腹部を、仲間の左腰部を突き刺し、新垣は小川町方向へ、仲間は旧国道方向へ逃げたこと、

が認められる。

右認定の事実中、被告人が一旦倒されてから立ち上がつて新垣、仲間を電工ナイフで突き刺した点については、被告人は捜査段階から当公判廷におけるまで一貫して否定し、一旦俯伏せに倒れた後、左肘を下にした状態で上に乗りかかつて来た新垣を突き刺し、同じような状態で仲間も突き刺した旨供述しているが、目撃者である証人大須賀誠は「被告人と新垣が倒れた後起きあがつた時に、新垣が額のところに手を当て、更にその手を見ていた。額のところを切つたらしく、血が出ているかどうかを見ているような素振りだつた。そのあと三人で殴り合いの喧嘩となり被告人が刺された人の腹部を殴る様な動作を目撃したがその時被告人の手から光る物が見えた。」旨供述しており、右供述は極めて具体性があり、新垣の身体の各創傷の部位とも矛盾なく説明でき、他の目撃者である松原猛司、蓮田昭彦の供述にも沿うことから充分に信用することができるので、被告人の供述は右部分については採用できない。証人大須賀誠の右供述から左前額部切創は倒れていた時点でできたと認定することができ、左胸部刺創は肋骨の間を突き抜けて胸腔内に達しており、左側腹部の刺創も胃前後壁を突き抜けて膵臓下縁を切截しており、創洞の長さが約八センチメートルあることに鑑み、新垣が倒れている段階で右二つの刺創を負つていたとすれば起きあがつて左前額部に手を当てるどころか恐らく胸部、腹部を押えて苦しんでいる筈であり、前認定のように立ち上がつた後で突き刺したものと認定せざるを得ない。

また、被告人が電工ナイフをズボンのポケツトから自分で取り出したものか、倒れた時にポケツトから落ちたものかについては、仲間は昭和五二年八月七日付司法警察員に対する供述調書において前者の如く供述しているが、八月二四日付司法警察員に対する供述調書でこれを撤回しており、被告人の供述は捜査段階から後者で一貫しており、他にこれを覆すに足りる証拠もないので、前記の如く認定した。

(三)当裁判所の判断

そこで、以上の認定事実を基に正当防衛又は過剰防衛の成否について検討することになるが、まず新垣、仲間の両名の行為が急迫不正の侵害に該当するか否かの点については、両名とも前判示のような経緯で被告人に暴行を加えており、これがいずれも不正の侵害であることは明らかである。検察官は、路地に連れ込まれてからも、被告人の妻の通報により間もなく警察官が来る状況にあつたので、被告人が本件犯行に及ぶ必要性はなかつた旨主張するが、既に認定したように被告人が警察官の到着を待つていたことは明らかであり、路地に入つていつたのも被告人が積極的に行つたものではなく、新垣、仲間に腕を引つ張られる等して連行されたのであつて、警察官が到着する前に新垣、仲間の暴行が始まつているのであるから、侵害の急迫性の要件にも欠けるところはないと判断すべきである。

次に防衛の意思の点については、新垣、仲間の暴行によつて被告人がある程度激昂したことは否定できないが、被告人がナイフを握るに至つた状況は前認定のとおりであり、恐怖と興奮が伴いながらも主として防衛の意思で行なわれたことも充分認めることができる。

そこで更に被告人の防衛行為が、防禦手段として相当性を有するか否かについて検討すると、被告人が新垣に倒され上に乗りかかられた状態で新垣に対しナイフを振り回した時点においては、新垣らの暴行を止めさせ自己の身体の安全をはかるための反撃であるからなお正当防衛の範囲内にあつたと認めることができるが、更に立ち上がつた後の新垣、仲間両名の身体枢要部をナイフで刺突する行為については、両名とも素手で相当酩酊していたこと、すでに新垣に対しては前額部、後頭部、胸部、腹部に切創を負わせていたこと等に鑑みて、被告人と右両名との関係はもはや当初のような被告人劣勢の状態は脱していたものと認められるのであつて、かかる状態に転じた後に両名にそれぞれ積極的に刺突行為を加えているのであるから、いずれも防衛に必要な限度を超えていたと断ぜざるを得ず、結局被告人の新垣、仲間の両名に対する各刺突行為は判示の如くいずれも過剰防衛と認めるべきである。

二、期待可能性がないという主張について

弁護人は、本件では被告人がナイフを振つたことは事の成行から仕方のないことで、それ以外の行為を被告人に期待するのは無理であつたから期待可能性がなかつた旨主張しているところ、我が実定法上責任阻却原由たる期待不可能に関する規定は一九七五年一月一日施行の第二次刑法改正法による改正前のドイツ刑法五二条、五三条三項、五四条の如く整つていないといわざるを得ないので、超法規的責任阻却原由としての期待不可能性を認めない同国の判例通説の如き厳格に過ぎる見解は採らないものの、本件では新垣、仲間に路地に連行される前に被告人自身が目前の営業中の店の者に助けを求め、又は新垣らの手を振りほどいて近くにある日進町の派出所に連絡するなり、更には新垣に倒されて立ち上がつた後の段階で逃走するなりの行為に出ることが全く不可能な状況であつたとまでは到底認められず、他の適法行為の期待可能性があつたことは明らかであるから、弁護人の右主張は理由がない。

三、心身耗弱の主張について

弁護人は、被告人は性来てんかん症であり、毎日三回薬を飲むのが通常であるのにその日に限つて薬を忘れ、しかも一昼夜寝ていなかつたので一旦情緒的安定を乱す刺激が与えられると大脳の器質障害のため容易に衝動的な興奮を発する状態にあり、本件犯行当時心神耗弱の状態であつた旨主張する。前掲各証拠によれば、被告人は少年時代からのてんかん症で、度々発作があり、本件当時関東労災病院脳神経外科の診察を受けており抗けいれん剤ヒダントールの投与を受け、毎日三回これを服用していたこと、本件の前日は午後一時か二時ころ飲んだきり薬を持つて出るのを忘れたためその後は服用していなかつたこと、被告人は普段はおとなしいが刺激を与えると気が荒くなり、てんかん特有の凶暴性が出る場合もあることが認められるが、他方、前掲各証拠によつても、被告人が本件当時てんかんの発作の状態になかつたことは明白で、新垣や仲間が因縁をつけて来てからも寧ろ冷静に行動していたと認められ、犯行当時意識は清明で見当識も保たれており、何ら人格異質的な異常行動とは認められないのであつて、本件各犯行とてんかん症との関係を裏付ける証拠はないのであるから、犯行当時被告人が心身耗弱の状態にあつたとする弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示新垣に対する傷害致死の所為は、刑法二〇五条一項に、仲間に対する傷害の所為は、同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するので、傷害罪については所定刑中懲役刑を選択し、右はいずれも過剰防衛行為であるから各刑法三六条二項、六八条三号により各法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により重い傷害致死罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人を主文第一項の刑に処し、未決勾留日数の右刑算入につき同法二一条を、主文第三項掲記物件の没収につき同法一九条一項二号、二項を、訴訟費用を被告人に負担させない点につき刑事訴訟法一八一条一項但書を各適用する。

(量刑事情)

本件は、新垣、仲間の両名から酔余因縁をつけられ、判示暴行を受けたとはいえ、これに所携の電工ナイフで対抗し、素手の被害者両名に激しい刺突行為を繰り返した犯行であり、その結果未だ成人に達していない新垣を死に至らしめたもので結果において誠に重大であるといわざるを得ないのであつて、法は被告人に卑怯者たるべきことは要求しないが、自ら防衛行為をしなければならない事態に陥ることは可能な限り避けるべきは理の当然であつて、本件でも目前に営業中の店があり、派出所が近い所にあつたのであるから、新垣らに因縁をつけられた時点で同所に駆け込むなり、或は暴行を受けた時点においても新垣を死に至らしめないよう配慮して行動することは可能であつたと思われ、本件悲惨な結果を回避しなかつたことが強く惜しまれるほか、被告人は昭和四六年にも類似の刃物使用事犯で傷害罪により懲役八月、四年間執行猶予に処せられているのであるから、刃物を携帯していれば再び同種事件を招来しかねないことを自戒して、本件でも電工ナイフを携帯しないよう注意すべきであつたというべく、叙上本件犯行の動機、手段、態様、結果に鑑みると、被告人に同情できる事案ではあるが、なおその刑責はゆるがせにすることができないものがあり、他面において判示のように新垣、仲間の両名に対する関係で過剰防衛が成立するように、両名とも酩酊中の行為とはいえ極めて大きな落度があつたこと、事後不充分とはいいながら、被告人側から新垣の遺族に対して合計金七〇万円が支払われ、所在不明の仲間に対する関係でも金一〇万円を弁護人名義で銀行に預金して弁償慰謝の準備をし誠意を示していること、被告人は本件犯行時の状況について目撃者らと異る供述をしているが、これは犯行時の興奮等もあつて一部正確に記憶していないためと解され、罪を免れるための弁疎とは断じ難く、当公判廷において示している反省悔悟の情に偽りはないと思われること、被告人は幼少時に父母が離婚し、少年時代からてんかんの発作に悩まされ、現在でも投薬を受けている状態にあること、被告人が勾留されて被告人の家族が困窮している状況等被告人にとつて有利ないし同情すべき一切の諸事情を能う限り斟酌しても、刑の執行を猶予するのは相当でなく、判示処断は誠にやむをえないところである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 櫛淵理 千葉庸子 仲戸川隆人)

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